ボディ・トーク

言葉で足りないことばかり

大人になってから共感すること

唐突に思いついたので書きます。

目的もなく書きます。

本当はやらねばならぬ書類があるのですがどうしても気が乗らず、逃げ出したいので、仕事へのエネルギーをすべてこの駄文に込めてバックレようかなという魂胆です。

こうしてやらねばならぬ事から逃げ出している時に、ふと小学校のころ読んだ太宰治の『走れメロス』を思い出したのです。

まだやる気と物事への責任感に満ち溢れていたあの頃、わたしはこの作品が嫌いでした。読むとイライラしてきました。作者が陰鬱だからとかそういうのもあったんでしょうけど一番の理由は、メロスが途中で疲れて走るのをやめようとする場面です。あの頃はこの場面が大嫌いでした。「頭悪いくせにあんだけ王様にエラソーな口きいといて何してんだこのバカ」「寝てないで走れバカ」「水が湧き出なかったらどうするつもりだったんだこのバカ」とバカの三段活用でイライラを口にしてしまうほど嫌になる作品でした。真面目でピュアだったんですね。おそらく。

しかし今となってこの作品を見てみるとどうでしょう。あんなにイライラしてしまったのに穏やかな気持ちで読めます。それどころか再び走り出したメロスに頭が上がらないような気持ちになります。なぜならピュアな小学生から現在に至るまで、あらゆるめんどくさい事に揉まれながら生きてきて、めんどくさい事に負けないようにどんどん思考をクズ化させて行ったからです。昔であれば宿題の締切、友達との約束など何もかも守らなければならない絶対的なルールだと思っていました。破りでもしたら腹を切って死ななければならない。そのくらいの覚悟でした。今思えばただのビビリバカ娘です。

しかし生きていくうちには守りきれない約束もあります。ルールを破ってしまう瞬間もあります。そんな時にわたしは気づいてしまったのです。「約束を守れなくても別に死んだりしないんだ...案外平気なんだ...」と。

いい言い方をすれば「修羅場をくぐり抜けて成長した」とでも言えるでしょう。ごく普通の言い方をすれば「雑に生きても平気なんだということに気づいてしまった」と言うのでしょうか。悪くいえば「クズになった」この一言につきます。

でも今思うとピュアなあの頃より生きやすくなったと思います。些細なことでクヨクヨして眠れなかったあの日よりも、仕事をやっつけずに「寝ちゃお〜!明日の自分ヨロシコ〜!」とか言ってる今の方が幸せです。

たとえ人間失敗しても、悪いことをしても、間違えてもまあ何とか生きていけるんだなと思います。

堕落しきって取り返しのつかないことにならなければまあいいんじゃないかなって思っちゃいます。

とにかくメロスを物差しにして、セリヌンティウスを殺さない程度に力を抜いて明日からも生きていきたいですね。